
[No.1496]6/30福島・いわき市、双葉郡からの要望

[No.1495]ハマダレポート Vol.216ー医療と介護の総合的推進に向けてー
ー医療と介護の総合的推進に向けてー
[No.1494]6/29山形市で開催された支援情報説明会に出席

[No.1493]6/25公明党東日本大震災復興加速化本部の会議に出席

[No.1492]ハマダレポート Vol.215ー第186通常国会を終えてー
ー第186通常国会を終えてー
昨日で150日間の通常国会の会期が終了しました。
石原環境大臣の心無い発言に対する問責決議などについては「与党」として否決させていただきましたが、福島を担当する副大臣としては「後味の悪い」国会となってしまいました。
まさに、「破壊は一瞬、建設は死闘」。 引き続き、被災者の信頼の再構築に全力を尽くします。
一方、政府・内閣提案の法案成立率は98%と11年前の小泉政権以来の高水準。ちなみに、鳩山民主党政権では55%でした。
さらに、公明党が長年取り組んできた、アレルギー疾患対策基本法や単純所持を禁止する児童ポルノ改正法案などの21本の議員立法も成立。
まさに、一昨年末の衆議院選挙、昨年夏の参議院選挙の連続勝利で、「政権再交代」「衆参のねじれ解消」を皆様に勝ち取っていただいたおかげです。改めて感謝申し上げます。
国会会期末から、安全保障・集団的自衛権についての論議が佳境を迎えています。
しかし、新聞各紙の報道ぶりにはちょっと気になることがあります。
与党協議が開始された5月20日直前に行われた新聞各紙の世論調査。読売や産経では、「集団的自衛権の行使に「賛成」が7割(?)というのに対し、朝日や毎日では「反対」が過半数(?)。
読者層の違いだけでなく、質問の仕方に、前者では「必要最小限の行使」という選択肢が、後者では、反撃と言わず「攻撃」「戦う」という言葉が使われていたりして、「特定の意図」が反映されたものとなっています。
公明党内論議の様子についても、前者では「公明党容認へ」、後者では「依然慎重崩さぬ公明党」と、結局は、各紙の「思惑」や「期待感」が色濃く反映された報道?
公明党の真実の姿は、イデオロギー論争や安易な2元論に陥ることなく、あくまでも今までの憲法解釈と現実に根差した「丁寧な議論」。その論点の概要は公明新聞に連日掲載されていますのでご参照ください。
国民の平和生存権、幸福追求権をいかに守るか、浜田まさよし、徹底した論議を尽くします!
[No.1489]ハマダレポート Vol.214ーいのちの最前線ー
ーいのちの最前線ー
先月、住民への健康相談に当たる方々への激励に、安倍総理とともに福島県立医大を訪問させて頂きました。
そこで女子医学生の代表から頂いた、3.11直後の県立医大の活動記録集ーいのちの最前線ー。
事故後、不完全な情報の中で避難指示区域から次々と運び込まれる「転院患者」。
廊下もホールもすべて「病床」と化し、今までの治療を類推する中で緊急処置を行うという、まさに「野戦病院」という状況・・・。
しかし、本当の「苦しさ」はそれからだったとのこと。
放射能影響に対する問い合わせが殺到し、電話相談センターは大混乱。数々の「詰問」に、「訴えられるのではないか」と職場を去る職員も・・・・・。
昨年1月、復興副大臣として福島に常駐して直ぐに山口代表とともに県立医大を訪問した際に、相談窓口を支援する法律専門家(リーガル・アドバイザー)設置についての「緊急要望」を頂きました。
東京に帰って、法務省や日本弁護士会連合会と相談したところ、なんと東北大学医学部出身で病院勤務の後、法曹資格を取得された女性弁護士がおられるとわかり、昨年5月から福島県立医大の「リーガル・アドバイザー」に就任頂いています。
併せて、煩雑な手続きで評判の悪かった、子どもたちの「甲状腺検査」の情報公開体制も大きく改善させ、セカンドオピニオンなどのための画像を含め詳しい結果の無料提供も昨年11月からスタート。
この半年間で今までの1.5倍の方々にデータの公開をさせていただきました。
福島県民の健康不安を取り除く「いのちの最前線」。浜田まさよし、全力で強化して参ります!
[No.1487]ハマダレポート Vol.213 ー「までい」に生きるー
ー「までい」に生きるー
「までい」。 3.11以降、福島に通うようになって、飯館村の菅野(かんの)村長から教えていただいた言葉です。
福島県北部で伝わる方言で、漢字では「真手い」と書くそうです。意味は、手間ひま惜しまず、丁寧に、心を込めて、時間をかけて、じっくりと、とのこと。
飯舘では、親や年寄りから「食い物はまでいに(大切に)食えよ」「子供はまでいに(丁寧に)育てろよ」「仕事はまでいに(しっかり・丁寧に)しろよ」と教えられてきたそうです。
3.11の前から村をあげて、「までいプロジェクト」として、大量生産・大量消費の生活を見直し、自然と人のつながりを大切にしたスローライフの村づくりを進めてこられました。
今、村民6600人のほとんどが村の外での避難生活を余儀なくされていますが、お一人お一人にこの「までい」の心が染みわたっていると実感したエピソードがあります。
今年の2月の大雪の時のこと。福島市郊外の国道4号線でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく当方にくれていました。
そこに、炊きたての暖かなおにぎりを一台一台に差し入れしたのが、沿道の仮設住宅に暮らす飯舘村の方々だったのです。
何百個ものおにぎりを手を真っ赤にしながら握り続けた飯舘村のご婦人たち・・・・・。
避難生活が3年近く続く村民の方々にとっては、「ほんの恩返し」のつもりだったそうですが、あるトラックドライバーは、持病のため意識がなくなりかけていたのがこのおにぎりで意識も戻ったというのです。
先日、安倍総理とその仮設住宅を訪問させていただき、この「雪の国道へ命のおにぎりー飯舘村の恩返し」のお話をお伺いしました。
「までい」に生きる。浜田まさよし、これからも、心に染めて進んでいきます!
[No.1486]6/8西湘海岸保全事業着手式に出席

[No.1485]6/6受託事業者の会合に出席
[No.1484]ハマダレポート Vol.212ー介護制度についてのご相談ー
ー介護制度についてのご相談ー